『テルマエ・ロマエ』でお馴染み!古代ローマのイベント会場、コロッセオ。 ~新すみな(ライター)


イタリア・ローマの名物スポット、円形競技場のコロッセオ。映画『テルマエ・ロマエ』や『グラディエーター』などに登場した姿を思い浮かべる方も多いでしょう。コロッセオは権力の象徴としてローマの中心部に建てられました。
 
コロッセオは『グラディエーター』で俳優ラッセル・クロウが演じた剣闘士が命をかけて戦う闘技場としての顔のほか、イベント会場としての役割もありました。そしてローマの歴史と共にその役割は変化していったのです。今日はそんなコロッセオの歴史をお伝えします。
 

巨大なコロッセオはなぜ作られたのか

西暦64~70年まで、ローマでは大火や内戦によって街が甚大な被害を受けました。当時のウェスパシアヌス帝は首都の再建を進めていきます。その中でも市民の心をつかむために娯楽施設の目玉として作ったのがコロッセオです。
 
これがコロッセオです。多くの建物が姿を変える中で、コロッセオだけが当時の姿のまま残っています。
 
▼コロッセオ周辺
コロッセオ周辺

▼市街地に建つコロッセオ
市街地に建つコロッセオ
 

闘技場に施された工夫とは

完成時には100日間に渡って奉献式が行われました。なんと、奉献式ではローマ水道を使って闘技場内に水を張り、模擬海戦を行ったとか。
 
円形闘技場は直径188m、短径156m、と、現代のサッカー場よりも大きい面積を誇るのですが高さ48mの天井部分に日よけの天幕を張ることができたとも言われています。
 
場内での座る席は決められていました。前列は元老院階級席、中列が騎士階級席、その後ろが裕福なローマ市民席、最後列が一般市民と女性席です。
 
▼下から見上げたコロッセオ
下から見上げたコロッセオ
 
かつては5万人以上を収容できたということから、多くの人で賑わっていたことでしょう。市民は無料で闘技場に入れたそうです。朝から晩まで猛獣狩りや猛獣同士の戦い、犯罪人の公開処刑、剣闘士の試合と様々なイベントが行われていました。
 

闘技場の次は『採石場』へ

コロッセオの裏側へとやってきました。十字架の石碑があり、コロッセオの正式名称が彫られています。ラテン語で、Amphitheatrum Flavium (アンフィシェトルム フラヴィウム)と書かれています。
 
周辺の壁には穴がたくさんあります。中世になるとコロッセオは採石場の役割をしていました。もともと美しい大理石で覆われていたコロッセオですが、サン・ピエトロ寺院を建築する際に大理石をはがされたそうです。その大理石を接合するために使われていたボルトの穴がむき出しになっているのです。
 
▼コロッセオの壁にある石碑と穴▼
コロッセオの壁にある石碑と穴
 

採石場の後は『聖地』へ

採石場としての役目を終えたコロッセオ。その後はキリスト教徒の聖地となりました。迫害されたキリスト教徒がここで殉職したと伝えられており、現在につながる神聖な場所でもあるのです。
 
▼闘技場へ続く通路
闘技場へ続く通路
 

コンスタンティヌスの凱旋門

コロッセオのすぐ隣に古代ローマ時代の凱旋門があります。フランスのパリにあるエトワール凱旋門のモデルと言われています。
 
高さは25mあり、よく見ると欠けている部分もありますがとても良い保存状態です。美しい凱旋門の装飾について、中央にある円形の浮き彫りの装飾はハドリアヌス帝時代の建築から、上部の両側の装飾はマルクス・アウレリウス帝時代の建築から持ってきたそうです。
 
▼コンスタンティヌスの凱旋門
コンスタンティヌスの凱旋門
 
長い時を経て変化していったコロッセオ。今も多くの人から愛され、ローマの象徴となっています。
 
文:新すみな(ライター)
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