わが子を高校/大学留学に出すとき(3)《オーストラリアの高校・後編》~ワグナー・マキ(アメリカ在住・JSIA飾り巻き寿司インストラクター)


オーストラリアは日本でいう高校一年生の年齢を「Year10」といい、Year10までが義務教育だそうだ。そのため「Year11」は自分が何をやりたいかで進む道が変わってくる。就職する子もいれば、スポーツやダンスが得意な子はその分野で留学したり、大学進学や専門学校を希望する子は自分がどんな分野に進みたいのかを模索する期間である。
 
一時帰国を無事に終え、日本のお正月を満喫して再びオーストラリアへ帰っていった娘の残りの高校と大学受験をお伝えする。
 
>> わが子を高校/大学留学に出すとき(1)《留学決意~出発編》
>> わが子を高校/大学留学に出すとき(2)《オーストラリアの高校・前編》
 

授業科目は選択

ESL(English as a second of language)クラスの6ヶ月が過ぎると、地元の子と同じ選択授業が始まる。娘は、数学、美術(アート)やフードといった分野を主に選択したようだった。また日本に帰って大学受験をする可能性があったので「Year11」になりJapanese first languageも選択し、毎週土曜日登校をしていた。
 
これは日本語を母語とする子達のクラスだが、選択する理由はそれぞれで、現地で生まれたが日本語を維持するためであったり、娘のように進学のために日本語でエッセイの書き方を学んだりするためであったりする。
娘がいうにはみんな外国慣れしていて、意見をはっきりいう子達が多く、授業中は日本人高校生とは思えない論議や意見が交わされていたようだった。
 
また大学進学などのために、エッセイの課題が多くなり、授業はディベートや10分ほどのプレゼンテーションがよく行われるのが普通だった。ほぼ経験がない娘にとって、どうしたら相手を納得させることができるのかを英語を使って表現したり、プレゼンテーションをするのはとても新鮮だったようだ。
 
またアートといっても、単なる創作アートだけでなく、ビジュアルアート・歴史・工業分野・デザインなどいろいろな面で学び、自分がどこを目指したいのが細かく見えてくるようで、単なる成績のためでなく、自分が作った作品をプレゼンテーションするなど実践的な授業が行われていた。自信を持ってアピールすることやどんなことに苦労したかなど細かく文章で表すことも行われていた。
 
地元の子たちと一緒に成績を評価され、授業中グループを組んだり、文化祭に参加したりと、この頃から英語でも会話ができるようになり、交わる時間が増えていったようだった。
 

国際問題

当時、竹島や尖閣諸島問題についてニュースが騒いでいた頃でもある。
 
授業で国際的な自治問題になったとき、「その島がどこの国のものなのか?」という質問を先生が普通に日本、中国、韓国人生徒にどんどん質問を投げかけてきたときは正直とても驚いたと言っていた。
 
みんな授業中はそれぞれの意見を言うが、その後中国や韓国人の友達とどういう会話になるのかと聞いた。
 
韓国人の友達が「私たちはこうしてオーストラリアで出会って友達になって、とても仲良しでいられるのに、政治家や大人の人たちはどうして仲良くできないのかね。」と言ったそうだ。
 
確かに、出会う背景が違うと、見方は全然かわってくるのがわかる。私もかつてアイルランドで過ごした1年は中国や韓国人の同僚にとてもお世話になった。私も彼らに一度聞いたことがある。
 
私「中国と日本はいろいろ問題抱えてるよね。」
友人「そんなのここに住んでいる私たちには関係ないよ。」
 
その言葉は、政治的・社会的問題に対して何も出来ない無力感と、国は関係なく人間は本当は誰とでも仲良くなりたいと思っていることを表していると思った。だからその話を聞いて娘が異国の地で多国籍の友達がいることがとても誇らしく思えた。
 

メルボルン訪問

留学2年目の秋、夫と私はメルボルンを訪問し、ホームステイ先や美味しいレストランに連れて行ってもらったりする10日間を一緒に過ごした。挨拶やレストランでの注文、ちょっとした日常会話はとてもスムーズに出来たりするようになっていた。
 
ホームステイ先の小学生の女の子はよく娘になついていて、娘は彼女の相手をすることで英語の上達にとても助かったようだ。当然ながら英語が通じるようになると珍エピソードも減っていった。
 
娘は留学後1年で、会話を日本語から英語に変換することが面倒くさくなってきたといっていた。
 
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大学進学とビクトリア州のシステム

娘はYear12になり進路を決めなければならない時期がやってきた。日本へ帰り、専門学校や大学へ進学するのか、またオーストラリアに引き続き滞在し進学するのか。
 
Year12前半ではさらに選択教科を自由に変えられ、自分がやりたいものを探せる期間になっていた。娘は絵を描いたり、料理をするということに興味が沸いてきたようだったが、どんな職業につきたいかまでは決まっていない様子だった。日本に帰って帰国受験に向けてしっかり考えているわけでもなく、またしても漠然とした気持ちだったようだ。
 
メルボルンのあるビクトリア州では、州の統一試験と授業の評価総合点をみて、大学側からオファーが来るというシステムだ。だから自分が行きたい大学があるのなら、去年までの総合平均点を調べて、どの科目で点数を稼げるのかなど、選択授業をしっかりと把握しておく必要がある。
 
娘は好きな教科を主に選択して、楽しく授業を満喫していたようだが、娘が選択した授業科目は評価Aをもらったとしてもポイントにするととても低い科目が多かったようだ。そのため、各科目の評価はまあまあ良かったにもかかわらず、娘が受けた大学のオファーは1、2件だけだった。
 
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条件付き入学とは

日本とは異なる受験システムながら、すでに娘はビクトリア州の大学進学のことをよく理解しているものだと思っていた私。そして私も英語の書類を読むことは当時とても大変で、あまり理解していなかったのがいけなかった。
 
大学のオファーが少ないことに私もショックだったが、娘もかなりショックだったようだ。しかも進学できる学校からは条件付入学(Conditional Acceptance)と、しかも分野は限られた経済学部への道。
 
条件付き入学とは、ディプロマコースを設けていて大学の寮や施設を利用できるが、そこで1年間しっかりとその分野における下地を勉強し、規定の成績をクリアすれば2年次へ編入できるというシステムである。
 

父親との約束

今まで経済について一度も勉強したことがなかった娘だが、娘は決意し、またしても父親との固い約束を交わすのだった。
 
「絶対途中でやめない」
 
やはり具体的にどこの大学へ行きたいという気持ちがなかったのは大きな敗因だったかもしれないと私は思ったが、この選択はのちに娘がとてつもなく成長するきっかけとなるのだった。
 
第4話へつづく
  
文:ワグナー・マキ(アメリカ在住・JSIA飾り巻き寿司インストラクター)
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