わが子を高校/大学留学に出すとき(4)《オーストラリアの大学・前編》~ワグナー・マキ(アメリカ在住・JSIA飾り巻き寿司インストラクター)


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オーストラリアの高校では卒業パーティーを「フォーマル」という。みんなドレスアップして、自分たちで手配したリムジンでパーティー会場まで行き、フルコースの食事を楽しむのだ。
 
入学当時、空港に迎えに来てもらったJ先生に(第2話)「懐かしいわ、あなた覚えてる?私と最初に空港で会ったときのこと」と言われ、娘はたった一人で空港にたどり着いたあのときの気持ちを思い出し、くしゃくしゃに泣きながら無事に卒業式を終えたようだった。

これからは大学留学が始まる。今回は娘のオーストラリアでの大学生活をお伝えする。
 
▼フォーマル会場
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ディプロマコース

オーストラリアの複数の大学には付属の『ディプロマコース』がある。ディプロマコースとは、進みたい学部の基礎を1年間徹底的に勉強し、規定の成績をクリアして2年次へ編入できるというシステム。だから無事に進めばディプロマ修了証と大学で日本の学士号にあたるBachelor Degreeが3年間で学べる。(編集部注:ディプロマコースについては、大学・学部・卒業時の成績によって条件が異なります。)
 
娘の大学では前期と後期に分かれている。1年間にそれぞれ4教科づつの8教科を学ぶのだが、ディプロマの1年間は12教科を1学期から3学期で行うのだ。
 
日本には無いシステムだが、端的にいえば専門学校で修了証を得て、大学に編入でき学位も取得できると言えばわかりやすいかもしれない。
 
娘は高校時代に一度も経済(ビジネス)関係を選択したことなく、全く一からのスタートである。統計学・会計・ファイナンス・法律など必修科目を黙々とこなしていくこととなった。またディプロマコースは留学生が多く在籍するので、英語でのエッセイ、小論文やレポートなど提出物がとても多く、文章を書く作業が高校時代に比べて断然増えたようだった。
 

英語の発音と音域

ディプロマコースの留学生が多い環境の中で授業が始まった。主に中国人や東南アジア、中東系の生徒が多かったようだ。そんな中、娘はクラスで上手に話す子のまねをどんどんしたそうだ。「ああいうふうに高めに発音すると通りやすいのか、で、ここは低めか」などやっぱり伝わりやすい音域があるのだそうだ。
 
この話を聞いて私は、娘が3歳から通っていた英語教室で、小学生になった娘に先生がThやVの発音を一生懸命教えてくれていたことを思い出した。教室をよく見学していた私は当時、発音はそんなに大切なのかなと思っていたが、娘の発音はこの頃日本人とは気づかれないほど流暢な発音になっていたようだ。学校の先生や友達から、「あなたの英語は留学生とは気づかなかったわ」と言われてとても嬉しかったと言っていた。
 

英語で理解すること

ディプロマの教科書は「The foundation of…(基礎の…)」といった教科書の表紙ばかり。初めて学ぶファイナンスや会計はとても難しかったとそうだ。娘はどうしてもわからない所は日本語に直したが、重要単語はそのままの意味を英語で覚えていた。
 
そのため、娘は日本語でファイナンスについて説明してと言われても出来ないかも知れないといった。そうしないと授業に追いついていけなかったくらいの量をディプロマコースでは1年間勉強したのだった。娘いわく通常の学生の1.8倍の勉強量くらいはあったという。
 

寮生活の始まり

高校生活3年間をホームスティで過ごした娘は、1年間はとりあえず大学の寮で生活をすると決めた。ディプロマコースは大学の施設がすべて利用できるのだ。
 
娘が選んだ寮にはアジア人が全くいなかったらしい。一緒に住んでいるみんなからとても興味深く、珍しい日本人とされていたようだ。しかも高校時代とは違い、大学生ともなれば人種差別的なことを言う人はいない。男子も女子もとても仲が良く、寮のイベントやパーティーにとても楽しく参加していたようだった。
 
また寮生活はお腹がすいたら自分で料理しなくてはならない。アジア人が誰もいない寮に炊飯器は無く、鍋で米を炊くことを学んだ。寮の冷蔵庫はみんなでシェアしているので、名前を書いておいても誰かが勝手に食材を食べてしまう環境。数ヶ月はそれに気づかず、寮のみんなに食べ物を分け与えるやさしい日本人となっていたそうだ。
 
そしてキッチンやランドリーなどを一緒に生活していく上でいろいろな知恵を学んだようだった。
 

生活態度の変化

娘はその年、年末に1週間だけ一時帰国をした。(学校が忙しく1月は第2週からすぐ授業が始まった。)高校時代の一時帰国は、中学生の延長のように家でゴロゴロとしているだけだったが、寮生活が始まってから生活態度が急激に変化した。
 
今まで食事や洗濯などの身の回りのことを誰かがやってくれていた状況にとても有り難味を感じたようなのだ。
 
娘は食べたいものがあればどんどん自分で挑戦して作っていたようで、パスタやパンも今ではなんでもお手の物。また片付けの洗い物などもすべて自分でやらなければならない実体験から、一時帰国の際には自主的にいろんなことを手伝ってくれて私は本当に驚いた。
 
▼パンを焼くのもお手の物
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あれから体重もだいぶ減り(第2話)なんだかんだいってもホームステイはストレスだったのかもと話した。高校時代は食べても食べてもお腹が減り、マイスプーンを持って学校に行き、帰りにスーパーで友達とワンホールのケーキを二人で平らげ、さらに家に帰って夕食を食べるという生活をしていたらしい。
 
欝っぽくなって帰国してしまう留学生もいるなか、それは娘なりのストレス解消法だったのだと思う。ホストファミリーは優しかったが、やはりホストもそれなりの責任があるので少々干渉したり、その家のルールに従わなければ叱られることもある。食事も常に自分が食べたいものがでるわけではない。そうしたストレスから開放された寮生活は娘に自立心と新鮮な気持ちを与えたのではないだろうか。
 

自己責任

父親との約束(第3話)もあり、ディプロマコースを落とすわけにはいかなかった娘は、その年、今までに無く一生懸命勉強に取り組んだ様子だった。いかに効率よく学習するかを娘は自分で編み出し、寮生活も自身の責任の下、1年間を無事にクリアし、大学への2年次編入を決めた。
 
娘は当時18歳。よく、Responsibility(責任)という言葉を使った。「もうこの年になれば自分の責任でなんでもやらなきゃいけないんだよね」と。
 
(第5話へつづく)
 
文:ワグナー・マキ(アメリカ在住・JSIA飾り巻き寿司インストラクター)
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