「平和」という言葉を聞くと、何をイメージされるでしょうか?日本国憲法の9条をイメージされる人、あるいは原爆投下があった長崎や広島をイメージされる人もいるかもしれません。
日本という平和な国で暮らしていると、「平和」、そしてその対極にある「紛争(戦争)」という言葉は、どこかぼんやりしていて、遠くにあるように感じるかもしれません。
現在、私は毎日、コスタリカで「紛争」と「平和」について学んでいます。在籍しているのは国連平和大学(University for Peace)。私を含めた全ての学生が、「紛争」と「平和」をめぐって真剣に向き合い議論する毎日を送っています。
海外の大学院でどのように学生は「紛争」と「平和」を学び、そして議論しているのでしょうか?その1つの例として、今回は国連平和大学で最初に開講される全学生必修の講義、「UPEACEファウンデーションコース(UPEACE Foundation Course)」をご紹介します。
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▼国連平和大学の中庭
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「紛争(Conflict)」と「平和(Peace)」を科学する、平和学(Peace Studies)
UPEACEファウンデーションコースは、各専攻(ジェンダーや国際法、環境など)に分かれる前の全学生必修の講義です。この講義は平和学についての基礎的な知識、考え方を学ぶ下準備の期間として設けられています。
平和「学」と言うだけあって、この講義を通じて学生は紛争の表面的な様相だけでなく、学問として紛争を分析するところから始めます。紛争分析(Conflict Analysis)のモデルを用いながら、紛争の中核にある利害の対立、文化的・宗教的な価値観の違いなどについて事例を元に分析を深めていきます。
この講義で扱われるのは国際紛争(戦争・内戦)だけでなく、個人間の紛争、コミュニティ間の紛争も幅広く対象とされます。時には学生のロールプレイを通じて、対人間で起こる紛争の原因や過程についても学ぶため、心理学や社会学など、様々な社会科学分野を横断的に学ぶことが求められています。
本当に「紛争」は「解決」されるべきか?紛争変容(Conflict Transformation)の視点
講義中、平和へのアプローチについていくつか紹介された理論のうち、私にとって一番印象的だったものが「紛争変容(Conflict Transformation)」の考え方でした。日本では「紛争転換」や「紛争変革」とも言われるようです。
一般には、平和的な状態を作り上げるために紛争は「解決」されるべき、とする「紛争解決(Conflict Resolution)」の考え方が主流でしょう。一方、この講義で紹介された「紛争変容」は、紛争が起きたことをきっかけに、紛争のより根本的な問題に向き合い、平和な状態に変容させるという考え方です。
紛争変容の考え方の主眼は、紛争を取り除く(解決する)のではなく、将来の紛争を予防するためのものです。個人間・国家間の対立を分析する中で、潜在的に将来の紛争の火種になりそうな事柄、たとえば個人間の力関係や社会システムなどにも目を向け、変容していくことを目指します。
私個人としては、この紛争変容の視点はこれから紛争や平和について考えを深めていく身として大きな刺激となりました。
平和学に「正しい」考え方などない
「平和学は主に欧米の文化や価値点から語られることが多いが、それにとらわれてはいけない」という教えもありました。
どうしても学生という立場である以上、「これが正しい考え方なんだ」、「こうするべきなんだ」とつい考えがちになってしまいます。それは1つの文化的な価値観から主張されていることを忘れず、常に批判的な視点を持たなければいけないという気づきとなりました。
世界50ヶ国以上の学生と考える、「紛争」と「平和」
「平和学」という学問、そしてその基礎となる考え方の一例をご紹介してきました。皆さまはどんな印象を持たれたでしょうか。
ここ国連平和大学では世界50ヶ国以上の学生が一緒に学んでいます。中には紛争を当事者として経験した学生、国連やNGO職員として経験した学生、そして今まさに自分の国で紛争が起こっている学生もいます。バックグラウンドは様々です。
そのため、教員による講義だけでなく、学生のこれまでの経験や考え、思いを聞くこともとても大切な時間と考えられています。講義時間だけが私たちの勉強時間ではなく、ランチやその他アクティビティの時間の中でも他の学生から教えてもらうことが多くあります。
日頃、平和について自分の意見や知識をシェアする機会は、あまりないかもしれません。しかし、日本にもいろんなバックグラウンドを持った人や、多様な経験をした人がいることでしょう。
平和について考える中で、「正しい」考え方はひとつではない。そんなことを思いながら、今度友人や家族を交えて、平和について議論してみるのも、悪くないのではないでしょうか。