毎年12月上旬、4日間にわたりフランスの大都市リヨンで開催される「光の祭典(Fete des Lumieres)」をご存知でしょうか。リヨンで催されるイベントの中で、最も大規模で華やかなイベントと言われています。この期間、リヨンの街中は趣向を凝らした様々なイルミネーションで彩られ、まさに光の芸術といった雰囲気に包まれます。
Photo from Flickr Place des terreaux by Aurélien Catinon
Photo from Flickr Lyon fête des lumières ’09 20 by Simounet
4日間にわたり開催される「光の祭典」。期間中はリヨン市内の300ヶ所以上の名所や建物が趣向を凝らしたイルミネーションでライトアップされます。
盛大な花火も打ち上がり、リヨンの地が一年で最も盛り上がりを見せるイベントです。
光の祭典の始まり
光の祭典の歴史は古く、17世紀に遡ります。一体どのように始まったのでしょうか。
当時、ヨーロッパ中でベストが大流行し、感染の拡がりはリヨンも例外ではなく、その疫病に侵されそうになっていました。そこでリヨンの住民は聖母マリアに救いを求め、祈りを捧げます。すると奇跡的にペストの流行は治まり、リヨンの人々は助かったのです。
また時を経て19世紀、普仏戦争の頃。プロイセン軍がリヨンに攻め込もうとした時のことです。同じように人々は聖母マリアに救いを求め、祈りを捧げました。するとプロイセン軍の軍隊がリヨンへ到着する前にフランス側が降伏し、またしてもリヨンの人々は救われたのです。
これらのことからリヨンの人々は、聖母マリアを敬い、感謝の気持ちを形で表そうとしたことが光の祭典の始まりです。
Photo from Flickr Fête des Lumières 2009 : Grande roue by Pierre Guinoiseau
1852年、リヨンの人々は感謝の気持ちを込めて、フルヴィエールの丘に信仰の印としてマリア像を設置する計画を立てました。ソーヌ川のほとりを像制作の仕事場とし、丘の上で9月8日に華々しくお披露目をする予定でした。
しかしここで災難に見舞われます。ソーヌ川が氾濫し、像制作の仕事場が浸水してしまうのです。イベントは12月8日に延期されたのですが、不運にも再び悪天候に見舞われイベントは中止。予定されていた街のイルミネーションも中止され、さらに延期が決定してしまうのです。
そこで待ちきれないリヨンの人々が、誰からともなく自宅の窓辺にロウソクを灯し始め、マリア像を祝福したのです。瞬く間にリヨンの街は、多くの家々に灯された小さな光で溢れました。これが現在の光の祭典の原点と言われ、12月8日は街の灯りと共に聖母マリアを敬う日となったのです。
光の祭典の今
聖母マリアへの感謝の気持ちでリヨンの人々が一つになり、始まった光の祭典。
観光客も訪れ年々規模は拡大していますが、ライトアップされたフルヴィエールの丘には「マリーありがとう」の文字が照らし出され、12月8日のみリヨンの家々の窓辺にロウソクが灯されるのは毎年変わりません。
大規模な光のイベントとなった現在でも、原点となる聖母マリアへの感謝と祈りはずっと受け継がれているのです。
Photo by Flickr Fête des Lumières 2010 by Pierre Guinoiseau
世界的に最も美しいイルミネーションの1つと言われる「光の祭典」。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
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