7月1日の「カナダ・デー(Canada Day)」 は国民の祝日。カナダ建国記念日です。
いつもならカナダ中がイベントで沸き立ち、花火が上がったり、コンサートが行われたり、たくさんの人がビール片手に盛り上がる一日。コロナ感染が心配される今年に限ってはオンラインイベントをはじめ、ソーシャルディスタンスを保ちながらの屋外イベントが主流になりそうです。
カナダ国民にとってとても大切な日であるカナダ・デー。今日は、カナダ独立までの歴史についておさらいしてみましょう。
先住民はインディアンとイヌイット
カナダの先住民はインディアンとイヌイットです。今でもカナダ各地には先住民の文化がたくさん残っていますね。
ヨーロッパの人たちにカナダが発見されるのは1497年。
イタリア人探検家ジョン・カボットとフランス人ジャック・カルティエがカナダを発見。
1608年、フランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランが、セントローレンス川地域に(現在のケベック・シティ)にあたるケベック植民地を創設しました。
英仏が北米大陸で激突!「七年戦争」
世界的な英仏の植民地争いが激化するとともに、アメリカとカナダも英仏衝突の主戦場となりました。
その激突のもっとも大きな戦い「七年戦争」でイギリス軍はケベックを襲撃。1759年、フランス軍がイギリス軍に大敗し、ケベックはイギリス軍の占領下に置かれることになりました。そして1763年のパリ条約で、フランスはカナダの植民地を放棄。ケベックは正式にイギリス領となりました。
1867年7月1日、イギリス議会はカナダを統一するため『英領北アメリカ法』を制定。カナダの各地域を併せた自治領カナダ政府を成立させました。この法律制定をもってカナダはイギリス連邦の一国となり、オタワに連邦首都が置かれることになりました。
カナダ・デーはこの日を記念して制定された祝日なのです。
カナダのTシャツや国旗で溢れかえるカナダ・デー。
あまり日本の教科書で習う機会のないカナダの歴史。ヨーロッパの植民地争いに巻き込まれた時代を経て、イギリス連邦の一国としての今があります。
一方で、先住民であるインディアンやイヌイットの権利や、もともとフランス領だった名残から独立機運のあったケベックの権利などは問題として残り、1900年代後半になって解決の目を見ていきました。
この歴史が、英語とフランス語2つの公用語を持ち、多文化主義を宣言している国カナダの源になったのですね。
(留学プレス編集部)