わが子を高校/大学留学に出すとき(1)《留学決意~出発編》

2011年、一人娘が中学卒業後、オーストラリアへの高校留学を決めた。一時的な留学とは違い卒業をめざすためのもので、入学がさまざまな時期で可能であり安全面から考えてオーストラリアを選んだ。今回はその過程や家族でどのように話し合ったのかなどお伝えしたい。

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娘のこと

娘は1995年生まれの一人っ子。家族構成は夫婦と娘一人の3人家族。共働きということもあり、娘は小学校から学童保育にお世話になっていた。そのためか人とコミュニケーションをとるのがとても上手なようだった。年下の子から慕われ、年上の子からかわいがられたりといろんな年齢の友達がいる子だった。

普通の市立の中学校に通い、成績は中の下位だったといえる。小学校からトランペットを吹き、吹奏楽部やジャズバンドに参加したりしていた。英語の成績はというと、私も夫も英語が話せない為、英語が話せる子に育ったらいいなという思いもあって3歳から英語教室に通わせていた。

しかし中学卒業まで12年間通っていたにもかかわらず娘の通知表は英語3が精一杯だった。これは私も夫もいつも不思議で、本人いわく、「私は発音はとても上手」と豪語していたが、文法が苦手なのでテストの点はよくなかったようだ。

私たちが住んでいた都市は20万人都市という小さな市で、中学卒業後、ほとんどの子供が自転車通学などで可能な市内の高校へ進学する。それは6校ほどあった。娘が中学2年生の終わり頃、高校受験の話題が学校で行われるようになり、私は娘が高校受験に対してぼんやりとしたイメージでいることが分っていたので、気持ちを高めるためにも家族でできるだけ話題にし意識するようにしていた。

私「これから将来なにかやりたいことあるの?」
娘「うーん、なんだろう・・・」

そんな漠然と将来何を目指せばいいのかわからない娘の様子にちょっと不安がよぎったのを覚えている。

高校見学

高校は来年受験の生徒のために学校公開日というのを設けている。

8月頃、友達と高校見学に行くことが多くなり、帰ってきたらその学校はどんな様子だったのかよく話を聞くことにした。話題はエンターテイメントあふれる吹奏楽部や書道部といった部活のことが中心。

私「で、その学校行きたくなってきた?」
娘「うーん・・・」

盛り上がって高校見学の話をしていたにもかかわらず、いざ話を受験に戻すと答えはなんだか歯切れが悪い。

こういったやり取りがしばらく続いて、「まだ将来何をしたいかわからないみたいだし、その辺の入れる学校でいいんじゃない」という夫の言葉に私はどうにかして「ここに行きたい」と言う学校がないか隣の県まで高校見学に行ったこともある。私はとにかく娘が自分で選んで決めるということをしてもらいたかった。

高校留学という選択

娘のぼんやりした高校進学の様子を気に掛けていた頃、きっかけが訪れた。私が新聞の1面に留学エージェントの広告をみたことだ。「中学卒業で高校留学」これは、大きな決断で娘の英語の能力じゃとても大変だろうとはわかっていた。そして、15歳と言う年齢は第二言語習得の臨界期をはるかに越えていることも分っていたが、私は娘の、人とのコミュニケーション能力にとても自信を持っていた。親バカではあるが、この子ならやれる、いけるだろうと思ったため、思い切って話してみることにした。

娘に自然な感じで高校留学の話を切り出した。高校見学で友達の様子や学校の雰囲気なども聞きながら、

私「どうもぱっとしないんでしょ?」
娘「うーん、わかる?そうなんだよねぇ。まあ、あたしが行けるのは△△高校かねぇ・・・」
私「高校留学なんてのもあるみたいよ」
娘「留学?」

意外にもあまり驚かず、無理だと言うこともなく、「へぇー、ああ・・・」っとリアクション。娘は留学エージェントに一度話を聞きに行くだけでも、行ってみたいということになった

娘の同学年の親しい友達は、聞くところすでに将来の夢を持っている子が数人いた。弁護士や介護士になりたいなど具体的である。そういった友達からすれば、自分が何をやりたいのかわからずあせる気持ちがあったのだろう。東京まで交通費は掛かるが、娘が何か見つけられるなら決して無駄な時間にはならないだろうと思った。

父親と留学費用

当時、夫は一人親方で機械や電気系のエンジニアの仕事をしていた。自分の会社を立ち上げて軌道に乗ってきた様子だった。我が家は共働きで銀行口座も別々な為、私は一切家計を仕切ったことがない。お金はある方が出すという暗黙の了解だった。だから外食のときもある方が出すため、会計後は必ず出した人に「ごちそうさまでした!」と大きな声でお礼を言うのだ。

今回、娘が高校留学を望むのならば、主な収入源を担う父親からの許可が必要なのである。

東京の留学エージェントに話を聞きに行き、現地の学校やコーディネーターのこと、また費用の話を聞き、娘は行ってみようかという気持ちが大きくなっていたようだ。そのため、父親に留学エージェントで聞いた話をし、もう一度父親を連れて東京へ行った。夫はこの流れに、娘がおおかた高校留学という道を選ぶだろうと覚悟はしていたようだ。

私も娘に選択の幅を広げたものの、最初、全寮制の私立高校へ行くようなもんだと簡単に思っていたが、いやいやそんなはずはない。娘の気持ちが盛り上がるのと同時に私は費用工面できるのか不安になってきていた。

まずは航空券、ビザの費用、留学する高校への学費、ホームスティの毎月の費用、留学エージェントへの支払い、また留学保険などが必要になる。オーストラリアのビクトリア州は1年間が4ターム(4学期)に分かれていて1ターム(約10週間程)づつ請求がある。これが3年間続くのだ。

今でしょ!

娘「オーストラリアの高校に行きたい、お父さん、行ってもいいですか?」
夫「いいよ、でもすごく大変だけど大丈夫?絶対途中でやめないって約束して。」
娘「うん、私、絶対3年間がんばる。」

それから、オーストラリア・ビクトリア州の高校留学の申請にとりかかる。中学校から推薦状を英語で書いてもらい入学許可を得て、ビザの申請や留学エージェントの説明会など、東京へ出かけることもしばしばあった。

夫に念を押して「大丈夫?お金かかるよ」と聞いたときの彼の言葉に驚いた。

「いつお金を子供に使うかって…今でしょ!」

私はその言葉を聞いて一瞬止まったが「そのとおりだね!」と答えていた。こうして、娘は2011年4月下旬オーストラリア・メルボルンへ高校留学を決めた。

>> 第2話へつづく

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