わが子を高校/大学留学に出すとき(2)《オーストラリアの高校・前編》

成田空港から夜8時のフライトで一人娘を送り出したとき、真っ暗な展望デッキからカンタス航空の飛行機を見て、あそこに15歳の娘が一人で乗っているのかと思うと胸が締め付けられポロリと涙が出たのを憶えている。

今回は娘の高校留学生活1年目の様子などについてお伝えする。

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持ち物の選択

高校留学

当時はまだノートパソコンがあまり学校の授業に必要がなく、留学するにあたって、「ノートパソコンと携帯電話を持っていくかどうか」この二つは選択が求められ家族で話し合った。

インターネットが接続できれば、スカイプやメールでいつでも連絡が取れる。しかし暇な時、日本語のサイトばかり見てしまうのではないかというところが私と夫は心配になった。留学エージェントも各家庭にお任せするということだった。辞書は電子辞書を持たせ、現地に日本人サポートの人がいてくれる。結果、ノートパソコンは持っていかない、携帯は現地で買うという選択をした。

現地サポートとホストファミリー

空港に到着すると高校の留学生担当の先生が迎えに来てくれた。娘は先生に連れられて、車でそのままホームステイ先の家へと向かった。

車の中で、先生と娘はこんな会話をしたそうだ。

J先生「あなたのお父さんは何の仕事をしているの?」

娘の頭の中(私のお父さんの仕事は、えっと機械とかロボットを整備する人で、えっとなんだっけそれ・・・えーっと・・・)

娘「んー、マイ・ファーザー・イズ・・・ロボット・・・。」

J先生「ええー!」

のちに娘が話してくれたこのエピソード。J先生はとても驚いたことだろう。日本のロボット業界はそんなに進んでいるのかと・・・。

ホストファミリーはシンガポールとマレーシア出身の夫婦に、8歳の女の子と16歳の男の子の4人家族。お父さんは自宅で仕事をしている人でお母さんは専業主婦。お母さんは特に日本好きで料理も上手だったようだ。そして部屋は娘と別々だが、同い年の中国人留学生を受け入れていた。

▼ホストファミリー宅での食事。
ホームステイ先の食事

現地のサポートデスクの日本人はメルボルンに住む女性で、到着して2日後、J先生と娘の空港でのツーショット写真をEメールで私に送ってくれた。携帯電話も彼女に付き添ってもらって購入し、娘は困ったことなどあったら彼女とすぐ連絡を取れるようにしていた。

私が何か聞きたいことがあったとき彼女にEメールをすると、すぐに返事をくれたので母としてもとても安心感があった。当時メルボルンまでは直行便がなかった。乗り換えも必要だったし、私たちには連絡する手段がなかったのでEメールで送られてきた写真をみて本当に一安心した。写真の顔もまあまあ笑ってるように見えたし、よく一人で行ったと思った。

夫は言った。

「無事に現地についたのなら、後は本人ががんばるだけだね。」

連絡手段

それから10日間くらいして娘から初の国際電話がかかってきた。

娘「もしもし、おかあさん・・・、うおー(号泣)・・・」

私も一瞬涙が出そうになったが、泣いているのでしばらくそのままただただ聞いていた。本当に辛くて大変なんだろうと思った。英語もろくに話せない中、何もわからないところへ一人で行ったんだから。この時はじっと泣くのを聞いていた。

娘「なんかあったらまた電話するね。」
私「うん、いつでもいいからね、応援してるよ。」

電話を切るとなんと約2時間繋がっていた。国際電話の2時間は優に1万円は超えている。なぜパソコンを持たせなかったのかその時後悔したが、「パソコンがないほうが日本語でインターネットみられないから、そのほうが最初は私には良かったよ。」と娘は言っていた。

そんなやりとりが3ヶ月程あったが、それからはパタリと連絡がなくなった。連絡がないということは、うまくやっているのだろうと思うのだが、パソコンでEメールを送っても、娘は学校のパソコンでチェックしなければならないので、なんだかめんどくさそうだった。

そこでわたしが思いついたのは娘へ手紙を書くことだった。エアメールは10日程で届くし、料金も200円ほどで済む。すると娘も学校の様子や、面白かった出来事を書いて返事をくれた。月に1回か2回のやり取りだがとても楽しみな出来事になっていた。

留学中の手紙

学校の生活

学校では最初の6ヶ月、英語が全く出来ないレベルの子たちのためのESL(English as a second language)のクラスを受ける。中国、韓国からの留学生が多く、ヨーロッパからの留学生は少ない割合。クラスでは先生が「英語しか話してはだめ」と徹底するそうだ。最初は動物園や博物館へ出かけたり、日本では珍しいスポーツの授業があったりしたようだ。

高校留学

仲良くなる友達といえば最初は同じ日本人留学生同士、そして一緒にESLを受けている韓国や中国の友達である。英語がまだほとんど話せないので地元の子と友達になるにはハードルが高すぎであった。

また中には、そんな留学生をひとまとめにアジア人として扱い、言葉でからかってきたり(主に男の子といっていた)、ステレオタイプで差別的な言葉も容赦なく言われることがあったそうだ。黒人の留学生の友達も嫌な思いをさせられたりしていると言って娘は怒っていた。それを聞いたとき、この子はすごい経験をしているなぁと思った。日本にいたら絶対出来ない経験だ。

私「そういう時、何か言い返さないの?」
娘「もちろん言い返すよ!×××って。」

さすがである。汚い言葉ではあるが、こういう実践的な言葉はすんなり覚えて使うことが出来るんだなぁと感心したものである。

そして恋愛も留学生同士、同じ境遇から盛り上がる年頃であった。私は現地のボーイフレンドができれば英語の上達も早いぞと思ったりしたが、そんな思いとはかけ離れたエピソードがある。

ある日ギリシャ系の現地の男の子に学校でホットチョコレートをもらったそうだ。彼は娘に興味があったようで、娘も彼氏が欲しいと思ったのだろう、付き合うことにしたようだったが、毎日彼が送ってくる長いメールの内容が全く理解できなかったようだ。

その時、娘が唯一理解できた単語は「Angel(エンジェル)」のみ。おそらく彼はガールフレンドへの甘い言葉を送っていたと思う。

娘の頭の中(エンジェル→天使→教会→宗教→キリスト教?・・・。)

娘「アイ・アム・ブッダ・・・。」(送信)

すぐに自然消滅したようだった。

相手のことが本当に好きじゃないと恋愛は英語の上達にならないということだ。

一時帰国の様子

4月に留学してその年の12月に一時帰国を無事にした娘の容姿は案の定かなり太っていた。おでこにも、にきびがちらほら。やっぱりストレスが大きかったのだろう、友達と学校帰りに1リットルのアイスクリームをたいらげて家に帰ったりしていたようだ。

英語力はというと娘いわく、留学1年目は日本語に触れない環境だったから(パソコンを持たせなかったおかげ?)1カ月で耳に変化があったのと、半年で言いたい事を簡単な日本語に直してから英語にする事を自分で考え、ホストファミリーともよく会話をしたそうだ。

同じ時期に留学した子でなかなか慣れない子は鬱っぽくなり途中で帰国することもあったようだ。娘は太って帰ってきたけれど、学校もホストファミリーともうまくやっている様子だった。また家族やいろんな人に対してとても感謝する気持ちが強くなっていたようだった。

第3話へつづく 

留学中の手紙
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