オリンピック・パラリンピック大会を支えるのがボランティアの存在。2020東京オリンピック・パラリンピック大会のボランティア募集は2018年8月からだ。
留学プレスでは東京オリンピック・パラリンピック大会にボランティアとして参加しようとしている人たちが活躍し、貴重な経験を共有できるような活動についてお伝えしている。前編では、ボランティアを目指す若者に向けた留学奨学金制度を紹介した。IALC(世界語学学校協会)とJAOS(海外留学協議会)が共同で行うこの奨学金。合格した奨学生授与式を取材しレポートした。
後編となる今回は、過去のオリンピック・パラリンピック大会での実績を東京に活かそうという活動を紹介する。2012年のロンドンオリンピック・パラリンピック大会でボランティアが果たした役割やその功績について、情報収集および調査を行う日本スポーツ振興センターの川部亮子さんに話を聞いた。
ロンドンではボランティアは大会を司る一員
川部亮子さんはイギリスで最もオリンピック選手を生み出していると言われるラフバラ大学でGlobalization and Sportsの修士号を取得。現在のオフィスもラフバラ大学内にある。
川部亮子さん(以下、川部さん):「イギリスでは2012年のオリンピック・パラリンピックや2015年のラグビーワールドカップなど大きな大会がありました。これから日本で開催されるものと同じ大会です。ロンドンオリンピック・パラリンピック大会には、7万人のボランティアがいました。
現在の私の仕事は、スポーツに関する国の政策に関する情報を集めること。どういうことなら有効か、イギリスではできたことで日本では実施できること、あるいはできないこと、イギリスでは失敗したこと、などを調査しています。」
--イギリスでは、オリンピック・パラリンピックのボランティアはどんな存在として受け止められていたのですか?
川部さん:「ロンドン大会ではボランティアは『ゲームス・メーカー』と呼ばれました。テレビなどで取り上げられることも多く、大きく注目されていました。
ユニフォームは紫とオレンジの派手なもので、目立って華やかでした。スポーツに関わってボランティアをやるってこんなに楽しいんだ、という好意的な論調で発信されましたね。」
--『ゲームス・メーカー』という呼称は、大会を作り上げる一員としての意識を持てそうですね。
川部さん:「そうですね。オリンピック・パラリンピックを通じて、スポーツに関連するボランティアのイメージは、イギリス人のなかに共通認識として存在するようになり、より身近なものになりました。
一方で、反省点もあります。
ボランティアというリソースをどう維持していくかというビジョンが当時のイギリスには不足していました。
五輪という大きなイベントを通じてスポーツに興味を持った人がたくさんいました。『ゲームス・メーカー』として活動したのは7万人だったけれど、実際には興味を持って応募したのに合格しなかった人たちがもっといたわけです。その人たちがどこかへ消えてしまっています。
選考に漏れた人たちに、オリンピックではない形でスポーツに関わってくれたら、ということができたんじゃないか、もったいないことをした、という反省があります。
その反省を活かして現在は専門のベータベースなどもできています。どこでどういうボランティアを募集しているかがわかり、その告知ができ、マッチングができる仕組みとしてSports and Recreation Allianceが運営している”Join In”というネットワークなどが有名です。
--オリンピック・パラリンピックが一過性のものではなく、次のスポーツ大会との関わりにつながっていくようになっているのですね。
川部さん:「はい。イギリスの場合はボランティアを『する/しない』という段階から、一段次のフェーズにまで議論が突き詰められています。
たとえば、ダイバーシティにおける課題。現在、ボランティアに参加するのは白人が多いけれども、マイノリティにも参加してもらうにはどうしたらいいだろうとか、障害者の人に関わってもらうにはどうしたらいいかという議論です。」
ボランティアがキャリアにつながる取り組みとは?
川部さん:「また、ラフバラ大学ではボランティアを無償でお手伝いするという考え方ではなく、そこから何を学ぶか、どうキャリアにつなげていくか、というのを重点的に考える段階に入っています。
実際、ここでは最近、ボランティアとは呼ばなくなってきています。たとえば『イベントコーディネーター』とか『動作解析パフォーマンスアナリスト』など、ポジション名で呼ぶようになっています。そうすると職歴として履歴書に書けるわけです。学生たちの学生をより高いクォリティーで社会に出すことができるから、就職が有利になって就職率があがる。だからこそ、大学もそのための後押しをする体制になっています。」
--キャリアにつながるというルートが見えると、特に大学生などにはボランティアに参加するメリットが少なくありませんね。
川部さん:「とはいえ、日本とイギリスの事情には異なる面もあります。たとえば、日本の大学生には、アルバイトをやる文化が既にあります。無給のところにいって活動するよりは、アルバイトでできる方法を探します。
イギリスの学生は、日本ほどアルバイトを詰め込んだりはしません。夏休みなどの長期休暇に、まとめてアルバイトする子は一定数存在しますが、学期中にアルバイトをやっている学生は日本とくらべるとだいぶ少ないと言えると思います。
また、イギリスの学生の場合、自分の学びにつながる活動に対して、無償か有償かに関わらず、従事することへの意欲が貪欲だと感じます。
学生にとって、学位を持っているだけでは差別化にはなりません。大学がお墨付きを与えているボランティア活動をやれば、履歴書に書ける。学生にとっては大いに魅力的です。」
--大学の『お墨付き』とは、具体的にどういったイメージですか?
「具体名は各大学で違いますが、サーティフィケーションが出ると考えてもらえればわかりやすいと思います。
大学ではボランティアための事前セミナーを開催することもあります。
たとえばロンドンオリンピック・パラリンピックでコーディネート業務に携わった人を講師として呼び、それを何コマか受講することで大学が修了証を出す場合もあります。
現在、それが就職率を上げているかどうかまでは解析できるデータがありません。しかし、ラフバラの場合、やりたいという学生が増えているのは事実。
全国的にボランティアを統括している団体でも、セミナー開催時の応募人数は次第に増えていると聞きました。どう評価するのは難しいところではありますが、ラフバラでは2010年から7年ほどで、参加を希望する学生数が30人程度から300人レベルに達しています。」
--このようにボランティアが発展してきた理由として、概念としても活動としても、ボランティアがもともとイギリスに根付いていたというのも背景としてありますか?
川部さん:「メディアが好意的に報じた背景のひとつにボランティアがイギリスに根付いていたというのも、一部の理由としてはあるでしょう。
サッカー少年団にお父さんやお母さんが運営を手伝ってあげる、ということも言ってみればボランティア。日常的なお手伝いをボランティアととらえれば、オリンピック・パラリンピック以前からそういう社会はありました。」
--日本でもお父さんやお母さんたちがお子さんの地域スポーツをサポートする姿はよく見られますね。その意味ではスポーツ大会のボランティアへの理解も身近に感じる土壌はあるようにも思えますが、東京オリンピック・パラリンピックのボランティア募集に関して、日本では一部で「無償でやるようなものじゃない」「労働力をタダで搾取するな」といったような意見も出ています。
川部さん:「日本でもふたを開けて見ないとわからないというのもあるのではないでしょうか。
反対意見の一方で、単純にお祭りとして五輪に関わりたい人たちがいっぱいいるかもしれないし、黙っているだけでやりたいと思っている人たちが多いかもしれない。結果的にどうなるかは読めません。
特殊技能として扱われるべき人に対して報酬が出ない、という日常的な就業(給与)形態に対する不満が五輪にも同じようにとらえられているのかもしれません。ボランティアなんかでできるものじゃない!みたいな考えもあるでしょう。」
--その点、キャリアとして次につながっていくものであれば、目に見えたお金をもらっていなくても、先の経済力につながる経験を得られたと考えられるようになるでしょうか?
川部さん:「機会をどういう風にみるか、だと思います。オリンピックの現場でボランティアをした、という事実は、どの国のどの地域にある、どんなに小さな企業にだってわかります。
世界のどんな小さな村の人でも知っているのが『オリンピック』
川部さん:「五輪に関わるということをどれくらい客観的にみられるかということ、2週間という時間を費やすことが投資ととらえられるか、そしてそれをどんな見せ方をしたら有効かを考えらえられる人にとっては貴重な機会です。
五輪の持つ希少さを理解し、使ってやろうと考えている人にとっては、自分を宣伝する材料としてこれ以上はありません。
『オリンピック・パラリンピック』って、一言で伝わるすごい素材だと思いませんか?こういうコンテンツってそうそうあるものではありません。
私は、オリンピックを通じて、知らない間に日本が変わっていた、みたいになったらいいなと思っています。
東京の人は、まさにオリンピックが行われた現地にいるからインフラの変化など、目で見てわかります。でも、たとえば田舎の畑を耕すおじいちゃんが、それが五輪のせいだとわからなくても気が付いたら違う世界を知ることになった。そんな世界があってもいいのではないでしょうか。」